9.05.2008

ゼクーンフォトンが異世界であること

この物語は異世界での話です。ロボット物であるという事もありますが、出来るだけフィクションの部分が多いものにしたかったのです。地球上という読者の世界からあまり隔てられていない処で展開するものはガンダム、ドラえもんと、色々あります。あるいはスターウォーズ等のように地球から離れているものもあります。それらがなんでそういうフィクションの装いをする必要があったのでしょうか。日常の世界で説明できる、或いは日常にあふれている設定を使って表現をすればいいじゃないか。そうなんです。それも可能なのです。なのに万人が理解しやすい方法を採らずに、改めて説明の必要な方法を採るのか。多くの人にとっては至極当然な疑問だと思います。これを避けて通っていては、このホームページで表現しようとすることをより多くの人に観てもらえないと思うので、私個人の観点からですが説明してご理解を得ることが出来ればと考えています。日常の世界で起こっていることは家庭内のことから、テロや国際的、政治的交渉事、スポーツの祭典と様々にあります。これらすべてに平等に視線を向け、考え、評価を下せている人が世界中に幾人いるでしょうか。問いかけておいて無責任かも知れませんが、そういう人は数パーセントもいないのではないでしょうか。かといって、そういう状態が何も悪いというわけではありません。規模が変わっても自分個人の世界からどの位周囲にたいして意識を拡げられているかで状況や状態は変わってくるのですから。家族や、友人にたいしてどれだけ注意を向けられているかなんて人それぞれです。そういった現実の中にあって、それならどうやって自分以外の対象に対して意識を払っていけるのか。そこで出てくるのがフィクションのあり方なのではないかと一つの定義をしてみます。そうすると、フィクションの設定が様々あればあるほど、他人の思考、あるいは現実をイメージする上での素材の組み合わせが、自分が思った以上にあると考えられないでしょうか。では、マンガで出てくるロボットが何を意味するのか。宇宙空間を呼吸なしで飛んでいることに何の意味があるのかと質問が来そうですが、主人公とロボットの関係、登場人物達と宇宙を飛ぶという事の関係を考えることによってその人なりの答えを持つことが出来るのではないでしょうか。主人公とロボットの関係がある人物と車の関係だったり、宇宙を飛ぶことがスポーツで凄い能力を発揮する人の事であったりすれば、日常で同じ現象を受け入れる事より象徴的なものを考えやすかったりするのではないでしょうか。ファンタジーにおいて描かれているものを夢を描いていると評するのは一番簡単な捉え方になると思いますが、安易すぎて折角の作品が勿体ない気がするのですけど。ともすると日常を描くドラマの方が関係性や象徴性を捉えることにおいて難しいといえるかもしれません。あまり書いてくると混乱してくるので、この辺りで止めておきます。つまるところ、このオリジナルSFマンガも人間が活躍をしていながらそこに設定されているものは物語のテーマを強調するようになっていると考えてください。ただどんなに突飛なものが表現されていても人間が考えたものである以上、現実の何かを別のものに投影したというアナロジーから抜け出ることはないので、現実のどんな関係性をこんな設定にしたのか、思いを馳せてもらうのもいいと思います。

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